ネパールで感じた “幸せ” の原点

1/15〜1/22まで、ネパールを訪れていました。
今回の旅には、大きく分けて二つの目的がありました。

一つ目は、
「孤児院の子どもたちの明るさ」に関して聞いた次の話の
背景に何があるのかを知りたいと思いました。
― ネパールの子どもたちは明るく活発な印象が強い一方で、
欧米の孤児院では、どこか憂鬱で消極的な雰囲気の子どもが多い ―

二つ目は、
将来的にリトリートプログラムを海外の方にも提供していくために、
必要となることを、「肌で感じる」ことでした。


今回、ネパールのどこに行っても強く感じたのは、
「自分は大事にされている」という感覚でした。

正直に言えば、
モノは決して豊かではなく、生活の不便さを挙げればきりがありません。
それでも、出会う人たちは皆、素敵な笑顔で迎えてくれ、
首にはカダ(スカーフのような布)をかけてくれます。

食事も決して贅沢ではありませんが、
辛さを調整して出してくれ、
「辛くないか?」「美味しいか?」「おかわりは?」
と、何度も気にかけてくれる。。

こんなにも人と触れ合い、
つながっていると感じたのは、本当に久しぶりでした。


旅の後半、内観の面接をさせてもらう中で、
ある違いに気づきました。

日本では(私自身も含めて)、
多くの人が「不足」や「不十分さ」に意識を向けがちです。

「〇〇をしてもらえなかった」
「〇〇が足りなかった」

たとえば、
「あまり遊んでもらえなかった」
「お小遣いが少なかった」

“全く無かった”わけではないのに、
理想像や他人と比べることで、不足ばかりを数えてしまう。

一方で、
幼い頃に親に「してあげていたこと」については、
ほとんど語られないことが多いのです。

対照的に、ネパールでは、
親に対する強い恨みや、
自分の運命(宿命)を嘆く声がほとんど聞かれません。

それどころか、
「親にしてあげたこと」が、次々と語られます。

例えば
「シャツのアイロンをかけた」
「お母さんの料理を手伝った」
「お父さんが仕事に出かけるとき、靴を出した」

こうした話が、たくさん出てきます。

特に印象的だったのは、
孤児院の子どもたちに、この傾向がとても強かったことでした。


この孤児院には、内観を始める2日前に訪問させてもらいました。
施設長さん(父親代わり)、その奥さん(母親代わり)、
そして息子さん(兄のような存在)の3人を中心に、
3歳から20歳までの24人の子どもたちが一緒に暮らしていました。

皆が明るく、兄弟のように仲が良い。
話を聞くと、不便さは沢山あるけど、
大きな愛情の中で、協力し合いながら生活していることが伝わってきました。


今回の旅を通して、あらためて心に残ったのは、

「つながり」
そして
「足るを知ること(満たされているという感覚)」
の大切さです。

分離感や不足感は、私たちの知覚を大きく歪めてしまうのかもしれません。


そんな感覚を少しでも和らげるために、
当面、次の二つを意識して生活しようと思います。

一つ目は、
AIで効率化できることは手放し、
人と人が触れ合うことでしか生まれない
“人間くささ”の時間を増やすこと。

二つ目は、
「足る」を感じるために、
“ながら行動”をやめ、
一つひとつを意識的に味わうこと。

たとえば、
コーヒーを飲みながらパソコンを見るのをやめて、
ただ、コーヒーを味わう。

お皿を洗いながら音楽を聴くのをやめて、
水やお皿に触れる感覚を感じてみる。

呼吸を味わってみる。
息を吸いながら「呼吸をいただく」
息を吐きながら「呼吸を差し出す」

もしよければ、皆さんも、分離感や不足感を和らげるために、
一日のどこかで、ほんの少しだけ試してみてください。

もしかすると、
すでに十分に満たされていることに、
ふと気づく瞬間があるかもしれません。

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